トレ・ダイエット

私が「特定の食ベものが体に良い悪い」という話に興味を持てない理由3つ

ダイエットや健康のこととなるとシンプルでわかりやすい説が広まりやすいと感じる。

「一日一回〇〇をするだけ」「〇〇に含まれている○○という成分が効くらしい」みたいなやつだ。

特定の食品が良いというのは一番よく見聞きするパターンのひとつだ。

だれだって難しい話より、わかりやすいできれば一つの方法で成果を出したいのはわかる。

でも私はその手の話は意識的にスルーしている。わざわざ「意識的に」しているのはそうしないと影響を受けて全体のバランスが崩れる危険があるからだ。また家族など身近にそういう人が多いからだ。

この記事ではなぜ「特定の食品が良い悪い」という説をスルーしているのか、その理由を3つ挙げる。これは私がその手の話を聞くたびに思い起こしている3点だ。

くくりが小さい話は利権が絡んでいる可能性

くくりが小さい話ほどあやしい可能性が高い。大豆関連で考えてみよう。

例えば〇〇という商品名で体に良いという話。例えば「毎日だいずバー」とか「だいず濃縮じゅ~す」とか ※実際の商品名ではない。

次に〇〇という食品名で体に良いという話。例えば、納豆や豆腐などだ。

次に〇〇という原料で体に良いという話。この場合、大豆だ。

最後に〇〇という栄養素で体に良いという話。例えば、たんぱく質だ。

 

上にいくほどその話の信頼性が低くなるなと思う。利権が絡みやすくなるからだ。いわゆる「その話で儲かるのはだれか」を考えろと言われているやつだ。

 

私が全面的に信頼しているような情報は下のようなやつだけだ。

炭水化物を減らすことで生活習慣病になりにくくなる

こんな大きな話くらいしか当てにならないと思っている。

縛りを守るのが大変

特定の食品を摂取しつづける、というのが習慣になってしまうとそれを守るのが大変になる。

一つは飽きの問題。もう一つは費用だ。

 

当然だが特定の商品や食品にこだわるほど飽きがくるのがはやくなる。大きな視点で栄養バランスを見た場合、無理して続けなくても代替手段がありそうなものだ。

だが「○○に含まれている○○という成分がよい」という話の場合、他の食品では替えがきかないようにも感じる。でも実際のところ世界に存在している成分やその作用なんてわからないことだらけだ。解明されていることのほうがぜんぜん少ない

その中でちょっとわかったところだけに比重をおいて食生活をドンとそれに傾ける必要は感じない。

近年体によいとされているものは大抵高額だ。限られた予算を広く浅く振り分けるほうが大抵お得に感じる。

 

またいったん良いと思ってつづけるとその「契約」を解消できなくなる。

例えばある食品Aを摂取するようになって次の健康診断でよい結果になったとする。その食品A以外にも全体の栄養バランスや運動習慣など変えた点はいくつかある。その栄養バランスや運動のほうが主な理由で好転したのだとしてもその食品Aをやめたら元に戻ってしまうのではないか、みたいな呪縛になる可能性がある。

食品安全上のリスクがある

特定の食品ばかり摂取することには安全上のリスクもある。

食品Aには悪玉コレステロールを下げる○○という成分があるとする。だがAを食べていると特定の農薬や添加物も摂取することになる。のちにその農薬や添加物は禁止されるほど危険だったということになる可能性もゼロではない

なお私は農薬や添加物を否定する気はないしむしろ肯定的だ。そのおかげで安価で安全で(特定の意味での安全)みんながおなか一杯食べられているのは事実だ。だから一定の安全基準が守られているならいい。あと完全に避けることも不可能だ。

だがあくまでその「安全」は現時点で分かっていることを根拠にしているだけだ。将来さらなる発見でどういう解釈になるかは不明だ。

だからシンプルに広く浅く分散する。

また同じ理屈でメリットもあるかもしれない。つまり食品Bに含まれているまだ注目されていない○○という成分があったとする。それは実はがん予防に効果がある。食品Aばかりに傾倒してBを無視してしまうとその恩恵はまったく得られない。

 

学校で教える「いろんなものをバランスよく食べましょう」はリスクヘッジという意味ではやはり最強と思える。

わからないことが多すぎる場合、ある意味全部を選択しそしてある意味全部を選択しない。

読書の場合も特定の筆者に傾倒せずそのジャンルについて複数の著者を1冊ずつチョイスするのがいいと思っている。

まとめ

私は別にここで書いた考えが賢明だとか言いたいわけではない。食品Aの○○という成分が体によいと分かった以上徹底的にそれを摂取するほうがよい可能性ももちろんあると思っている。その人の体質や目的によっても正解は異なるだろう。

ではなぜわざわざこんな話を書いたのかというと、常々その手の極端な話の影響を受けてきたからだ。

私の両親がそっち系だったのだ。両親のことはとても尊敬しているのだが、いかんせん二人とも信じやすいし一つのものに傾倒することが多かった。

「○○がよい」と聞けばそればかり摂る。あるいは「○○という添加物が悪い」と聞けばそれを徹底的に嫌がる。

一方で好きなものはいくらでも食べてしまう。また基本的に自分の大好物を否定されるような情報だと耳を閉じる。

反面教師的に、私は健康や栄養についてすべての情報を話半分以下にしか見聞きしないようになった。

世の中は広い、選択肢も広い、食品と健康の世界もまだわからないことの方が多い。

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