【元料理人目線】映画「南極料理人」の感想

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映画南極料理人の感想。

何か月か前Amazonプライムで発見したので、堺雅人主演の映画「南極料理人」を観ました。

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初鑑賞以来お気に入りの爆笑シーンがたくさんできてしまって、ふと思い出しては部分的に何回も観てしまっています。俳優さんも好きな人ばかり、演技や演出も最高。自分の好きな映画ベスト10には入りそう。

全体としては私は料理を仕事にしてきたので特に作り手(堺雅人さんが演じる西村さん)に感情移入しながら観ました。

目次

なぜこんなにも好きなのか

料理のでてくる映画やドラマってたくさんありますがやっぱりそれぞれ魅力があります。単純においしそうに食べる人を見ればおなかがすくし、きれいな料理だと目と心の保養になります。

あとゆるくて単純に笑える作品って好きなのですが、そういうものは他にもあります。

そのなかで「南極料理人」がひときわ好きなのはなぜなのか考えてみました。

以下ネタバレというほどの書き方はしていないと思いますが、「観た人じゃないと理解できない」という書き方になっているかもしれません。

1.料理する純粋さ

一番感じたのが料理の作り手側にエゴや不純さがないということ。

もしあったとしてもほとんど頭を出さないだろうという下記の環境。

  • メンバーは食べるときに褒めたりしない(なんなら感謝の言葉も描かれない)。
  • みんなそれぞれ別の職務だから出世争い等も絶対ない。
  • はみ出し者っぽいキャラが多く、だれも仕切るための権力を欲しない。
  • 厨房に一人しかいないので上下関係がない。
  • 異性もいないのでモテようとかもない。

また技術的にも制限があります。

  • 手に入る食材は、ほぼ冷凍もの。
  • 肝心の加熱周りが弱い(火力も弱く沸点も低い)。

南極料理人である西村さんから感じられるのはただシンプルに「食べる人に喜んでほしい」ということだけ。見返りはその姿を見ること。おいしそうに食べてもらうことだけを目指して限られた条件でベストを尽くす。

そういえば社会や生活の中でなんとなく料理に違和感を持つことがあるのはこんな時。

  • 俺の料理はこれだ、俺の店だ
  • この料理で有名になる、稼いでやる
  • お金が取れる料理か、一流か、という価値観
  • 料理(や食材)はこうでなければならないという観念
  • 社内や店の中での人間関係やポジション争い
  • 友人関係やSNSなど料理を自分の影響力として利用しようとする

上記は必ずしも悪いことばかりではありません。ただ「今目の前にいる人を喜ばせよう」っていう本来の動機を軽く超えてしまうことも多いのが問題。

こういった要素が純粋さと共存してたり、真っ向から対立して葛藤を生み出していたりする王道的名作も多いですが、環境によって強制的に排除されているこの映画のゆるさが好きです。

家庭とも違う

家庭での料理でも同じような作品は作れるかもしれません。でもやっぱり家族だと家族としての感情や条件が先にきてしまいそう。

「南極料理人」ではやっぱり家族っぽく接していてもあくまで期間限定の同僚・共同生活者に過ぎません。仕事だから淡々と行なう、そこでは料理は家事ではないので役割分担での不満とかもおきません。

この条件でないとやっぱりこの純粋さは出せないんだろうなあ。

割烹(会席料理)を経験したときの違和感

私は2年弱くらいの短い期間ですが割烹にいたことがあります。都内ですがローカルな駅の近くで地元客がほとんど。

個人のお客さんももちろんいますがメイン(数十人規模の売上など)は別。定期的に入る地元の議員とか、商工会とか、その他そういった系統の宴会。

ある意味一番手間をかけている炊き合わせは手付かずで残されたり(私の中では会席料理あるある)、その他の料理も味わって食べられているとはあまり思えない。

ただ建物の雰囲気や料理の体裁はいいのでお金は取れます。

なんか違うなあ…という。親方も新しいものを開拓するよりは伝統的なやり方を頑なに守るというタイプだったのでなおさら。

食べる人のことを考える西村さん

対して映画では料理の技術や自己主張ではなく、とにかく食べる人のことを考えるっていうのがよく描かれている気がしました。

手づくりラーメンとか中華ざんまいとか。中華は外が荒れている描写があったのと他の隊員も手伝ってたので、きっとリクエストもあったのでしょう。

でもやっぱり一番は豚汁とおにぎりのシーン。ぜんぜん特別な料理じゃないけど、外で作業してたら最高の組みあわせ。みんなの食べっぷりもいいけど、それを見ているときの西村さんの満足げな表情が最高。(その前の自転車に乗っての宣伝?と隊員たちがコケまくるのがw)

そういえば割烹の親方が「夏は冷たいのがごちそう」、「冬は暖かいのがごちそう」という言葉を耳にタコができるほど繰り返し言っていてそれはずっと心に残っています。暖かいのがごちそうってほんとだなあとまた思い出してしまいました。

もとさんの誕生日に食べたいもの聞いてそっけなくされたシーンも好き。穏やかな西村さんが壁を軽く蹴るw。

からだがラーメンでできている隊長のためにも、ラーメンができて本当によかったです。

2.料理の仕事はやっぱりいい

私は給食系の仕事が長かったので、専門料理ひとすじの人のようなやりがいを感じたり腕に対して評価を受けたりはありませんでした。

自分でも特に自分の仕事に誇りを持ったり、技術に自信を持ったりもありませんでした。

でもずっと漠然とですがやりがいみたいなものはありました。この映画でそれが何かをはっきりさせてもらった気がします。

  • 毎回の食事は生活の大切なイベント。身体だけでなく心の回復。
  • 世の中で働くどんな人も、やっぱり食で支えられている。
  • やはり特別料理でなくてもある程度の技術って必要(西村さんがボイコットしたら他のメンバー総出で油っこい唐揚げがやっとこさできた)。

書き出したら当たり前すぎるし、別に映画を観る前からわかっていたことでもあります。

でもずっと仕事として料理をしていると自分の役割に意味がないような気がしてくるときが多々あったので、そうではなかったとはっきり感じさせてくれたこの映画には感謝です。

「オレは間違ってはいなかった」

たぶん上流社会(?)から見たら料理という仕事で認められるのは、三ツ星のシェフとか世界的に名の通ったような人なのでしょう。

そういう価値観で言うと、もし料理をやるなら社会的地位や名声を獲得するためにも専門料理をやらないと意味がない、ということになりそうです。

今はいろいろ変わってきた気もしますが、少なくとも20年前私が高校の調理科にいたころの進路選択はそういう雰囲気が強かったです。伝統的な修行のような形がまだまだ定番でした。

だからそれ以外に行くっていうのは極端な話「やる気がない人」という感じでした。

一方南極料理人的な仕事の場合、食べる側はお財布を出すわけでもわざわざ足を運ぶでもありません。当たり前のようにでてくるからその時間に座って食べる。そのために毎日淡々と作り続ける。

でもその仕事は確かに必要で、作り手の心意気次第で生活も大きく変わってきます。

私は15年以上調理の仕事をしてきたなかで給食や施設での食事提供に携わった期間が一番長いですが、そういう進路は決して間違ってはいなかったと思えました。

だいぶ大げさに言うとスラムダンクのゴリ(赤木)の名シーン「オレは間違ってはいなかった」的な感じ。別に赤木みたいに周囲に流されず信念持ってやってきたわけでは全然ないですが(むしろ正反対で働きやすさから選んでただけですが)、この映画のおかげで調理学生時代になんとなく植え付けられた「専門料理で腕を磨く以外はあまり価値のない仕事」的な価値観から改めてすっきり解放させてもらえた気がしました。

調理担当というポジション

映画の中に登場するメンバーには特殊な専門職の人も多いです。比べると調理担当ってだれでもよかったんじゃない?的なことも感じられます。

そもそも西村さんは交通事故の隊員の代わりだったし、もとさんにも「別にメシ食うために南極に来たわけじゃないからさ」的なこと言われながらケガしたにいやんの代わりまでさせられているし。

でも西村さんがボイコットしてその存在の大きさがわかる、的な展開が好き。だれもいない厨房を真っ先にうろうろするのはもとさん。やっと現れた西村さんに、またまたもとさん「西村くん、おなかすいたよ」。ああ、メシ食うために南極にきたわけじゃないけどメシは必ず食うよね、っていう。

あと穏やかな西村さんは性格的にも一番わきにいそうでいて、実は一番中心だったりって感じたのは私だけじゃないはず。必ずといっていいほど話しかけられるときにいちいち名前を呼ばれていた気がして、その親しまれぶりを感じました。

これはだれにでも穏やかに接する西村さんの性格に加えてやはり普段の仕事ぶりもある気がします。そういえば、まかないが旨いとパート・アルバイトからの支持が着実に積みあがっていくっていうのが私の中で法則としてあります。それに似ているなあとか。

そう、個人的には映画を観ていて一番シンクロするのがまかないづくり。やっぱりまかないが旨いとみんなやる気出してくれたなあと。まかないに毎日一番頭を使っていた時期もありました。メシ食うために南極に行く人は実際いないだろうけど、「まかないがあるからこのバイト選びました」っていうのは本当にありますし。使える材料や使える時間がものすごく限られているっていう条件は南極料理人と近い部分があります。

感謝することを忘れていました

映画の中では料理に対して言葉で反応が返ってくる場面が一度もありません。たまにはだれかなにか言えよってつっこみたくなるほど。

料理ってあまり反応してもらえない、そこそこうまくて当たり前、っていうのは料理を仕事にしている人や毎日家族に料理する人ならだれでも一度は思うこと。

でも考えたら世の中のほとんどの仕事ってそうだよなあと思いました。

だから比べると「いただきます」や「ごちそうさま」を言ってもらえる、うまそうに食べる姿を見られる料理の仕事ってやっぱりいいなあと思います。

加えてもっと世の中の他の仕事に対して当たり前ではなく感謝し、感謝を伝えなきゃなと思いました。

あとは家族の中でそれぞれの役割を果たしているのだから、料理だけじゃなくて他の家事に対しても、外に働きに行くことも、毎日毎日感謝する(いちいち言うかは別として)くらいじゃないといけないなとか思ったりしました。

3.男ばかりの現場ノリに対するなつかしさ

映画を観ていてどこかなつかしく感じたのは、男ばかりの現場仕事って独特のノリだよな~ということ。

私も鮮魚の仕事で男ばかりの環境で働いていた時はちょうど同じようなノリでした(たまたまそういうキャラがいたからっていうのもある)。

  • 「エッビフライ!エッビフライ!」「えいー!」
  • 主任の仮病に対し突然たまりにたまった感情を爆発。でもちゃんと仲直り。
  • 「ピッチャービビってるヘイヘイヘイ」「ビビってねーよ!」(えっマジで返さなくてもよくない?) ←個人的にNO.1の好きなシーンかもw
  • 「西村君どうしよう、楽しい」塊肉に火をつけて走り回ったり(主任が自分が怒られていると勘違いして逃げながら「マンガ読んでてすんません」みたいに言っているのもツボ。)

わざとらしくばかなことしてみたり、でも打算や駆け引きはない。ただどうせならその時間を楽しく過ごそうとするだけ。

人事とか権力とかお金とかそういったしがらみがなく、生存のために争う必要もない。そうすると本当にこんな感じ(小学生?)になりそうだなあ…うまく描いているなあ…とか思いながら観ました。

まとめ

料理を仕事にしていた私が南極料理人が好きな理由を改めて考えてみた記事でした。

  1. 食べる人のことだけを考えて料理する純粋さ
  2. 料理の仕事はやっぱりいいなと思えた
  3. 男ばかりの現場ノリがなつかしかった

普通の感想や好きなシーンをまとめても仕方ないかなと思い、あえて料理の作り手目線で書きました。でも単純になにも考えずに笑える最高のゆる~い映画です。これからも何回も観ていくと思います。

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