料理における本当の時短とは何かを真剣に考えてみた~ポテサラの工程を分解

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皿に盛られたポテトサラダ。

最近は「時短」料理というのがマストになった気がする。以前は「時短料理が流行っている」くらいだった気がするがもはやマスト(必須)だ。簡単にはできないレシピを見かけるほうが珍しい。

だってみんな忙しい。だから時短やその方法を考えることには賛成だ。

ただその実体や本質には疑問を持つことも多くなってきた。

「それ本当に時短になっているか?」と。

目次

時短とは何か

「時短」はわかりやすい略語だ。時間を短縮すること。

…と思っていたが、複数の国語辞典等を見るとあることが共通して書かれている。

労働時間の短縮。作業時間の短縮。

そう、時短とは単に所要時間の短縮という意味もあるが、多くの場合は労働時間や作業時間の短縮をあらわす。そして家庭における料理では後者が主眼になることも多いだろう。

つまり「普通の鍋なら10分ですが、圧力鍋を使えば5分でできます。」は時短とは限らない。これは食材の加熱という作業単体での所要時間を短くしているだけだからだ。むしろ労働時間、作業時間が増えている可能性も高い。圧力鍋の準備や片付けには大抵普通の鍋よりも余分な時間がかかるからだ。

茹でる代わりにレンジを使うのもほぼ同じだ。レンジのほうが加熱時間が短いとしても、加熱中はフリー(他の作業をする)という点はどちらも変わらない。つまり労働時間は変わらない。そしてレンチンに使った容器を洗うのと、茹でるのに使った鍋とザルを洗うのを比較するとほぼ変わらない。(※なお光熱費や栄養素の比較は別問題なのでここでは避ける。)

みんな直感的にはわかっている

ただこんなことはくどくど例を挙げずとも、主婦や日常的に料理をする人なら直感的にわかっているはずだ。

料理の手間、言い換えると面倒くささはそういうところにあるのではない。野菜の下ごしらえを例に順を追ってみる。

  1. 野菜を取り出し必要な分だけ切り分ける。残りを戻し、使う分は洗う。
  2. 必要な場合は皮をむく。(+α 例:じゃがいもの場合は芽とりなど)
  3. 適切な大きさや形に切る。
  4. まな板・包丁・その他器具等を洗う。

加熱工程前にこんなに作業がある。蛍光マーカーを引いたところは個人的に嫌いな作業。

カット野菜が売れるわけだ。3.を避けるためにカット野菜を買うというより、1.や4.を避けるために買う、という人も多いかもしれない。

毎日料理をしていると「今日は作りたくないなー」という日は定期的にやってくる。そんな時に思い浮かべてしまう面倒くささのイメージ映像は上で書いた1.~4.だ。断じて加熱などのメイン部分ではない(私の場合)。だから加熱部分について”時短”とか”ズボラでいい”とか言われても響かないのだ。

本当の意味での手間を減らすとは

最初に料理における時短という言葉を考えたが、似たところとして「手間」という言葉も考えてみる。私が学校で料理を勉強しはじめた90年代なんかは、料理は手間ひまかけるほどおいしくなる、という信仰に近いものがあった。だから手間を減らすことを考えるとは時代も進んだものだ。

「手間」。こちらも複数の辞書で共通する概念(以下太字)がある。

まずは「労働力」。家庭料理を労働として大きくとらえた場合はこの意味。節約や献立を考えながらの買い物(軽い頭脳労働)~片付けやごみ捨て(肉体労働)までをトータルで捉える必要がある。

またメインの料理中については「手を使う作業における手が動いている間」「工程の数」。

”時短料理”に関係が深いのは後者だろう。料理中は文字通り手を動かすことを減らすこと。つまり「茹でるよりレンジでチンしたほうが時短になります」は手間を減らす観点ではあまり意味がないことになる。加熱中はどちらも他の作業ができるからだ。

つまり「工程を代替する(特に加熱)」という視点では労働時間と手数を劇的に減らすことは難しい。いかに「工程を減らす」かを考えるほうが結果に直結する。

工程削減には料理レシピの文章に出てこないことももちろん含まれる。例えば使用する調理器具が一つ減らせるならばそれは大抵プラスだ。その器具を取り出して洗い、元に戻す、という一連をセットで無くせるからだ。

だから「この方法にすると結果的に一つ道具を減らせます」は胸を張って時短と言える可能性は高い(効率が著しく落ちるとかだと結局ダメだが)。とはいえどんな道具を使うかやどのくらいの量をつくるかなんてことは各家庭によるわけで、こういうことをもって「時短レシピ」を宣言するなんて無理なのも事実だ。

「ポテサラくらい作れ」問題

一時期SNSから話題になった「ポテサラ」問題。惣菜コーナーで見知らぬ男性に「母親ならポテトサラダくらいつくったらどうだ」と言われたという話。その男性の母親や料理への感覚はさておき、人ぞれぞれの生活背景があるという想像力があれば言えないはず、という感想を持った。

そしてもう一つの感想は「むしろポテトサラダくらいは買わせてくれよ」だ。私は十数年調理師をやってきたが、工程的に家で少量作るのは一番面倒に感じる。仕事や子育てで忙しく疲弊していたら猶更だ。あと副菜だからいまいち手間が報われない。実際外食産業ではポテサラ系はほとんど既製品だ。

私の中では家庭料理の中でトップクラスに手がかかると思ってしまうのがコロッケ。まずじゃがいもの存在。じゃがいもは皮をむいて芽取りがある。(加熱後に手で皮をむくのはそれはそれで面倒くさい。)

  • 次に茹でて余分な水分を飛ばして潰して冷ます。
  • ひき肉や玉ねぎは炒める。
  • その後成形して衣をつけて揚げて片付ける。

忙しくて疲れてたらとんでもない重労働。

ポテサラの工程はこのコロッケの途中までだからまだましだが、やはり面倒ではある。

そして報われない。食べるだけの人からは、コロッケはエビフライや唐揚げよりも格下にされてしまいがち。ポテサラはマカロニサラダと同格にされてしまう。どちらも手間が段違いなのに。

ポテサラを作るか買うか

家でポテサラを作るのに何分かかるか、はつくる量やその人の手際のよさによってまちまちだから定義できない。

ただ調理時間に時給が発生するとしたらどのくらいになりそうか。仮に時給1000円として。

私の場合家族分なら準備~片付けで15分くらいかと思う。茹でや冷ます時間はのぞき、純粋に手を動かしている時間で。15分だと手間賃250円だ。

メインならともかく副菜一品に250円分もの労働をするくらいなら総菜コーナーで買うほうがよいかもしれない。

外で時給2000円~3000円以上で働いている人も多い。それ基準だとポテサラは手間賃だけで500円以上かかることになる。本当に買った方がコスパが良さそうだ。

しかも15分は調理師の自分の場合でだ。包丁が不慣れとか、作り慣れていないとかの場合もう少しかかるだろう。

ポテサラの手間を分解する

ポテサラの面倒くささと時短のポイントを探るために作業時間を1分単位で分解してみる。なおここまでで書いたように茹でている時間や・冷めるまでの時間などは含まない。”労働時間”ではないからだ。

ここでは例としてじゃがいも、人参、玉ねぎ、きゅうりという4食材にする。調味は塩、こしょう、マヨネーズ。4人分くらい。

  1. 野菜4種類を必要量取り出す。【1分】
  2. 人参玉ねぎきゅうりは使う分だけ切り分けつかわない分は戻す。【1分】
  3. 野菜を洗う。【1分】
  4. じゃがいもの皮をむき芽を取り適当な大きさに切る。【3分】
  5. 人参と玉ねぎの皮をむく。【1分】
  6. 人参、玉ねぎ、きゅうりを切る。【1分】
  7. じゃがいもを茹で、タイミングを見て人参を加える。【1分】
  8. 玉ねぎ、きゅうりの塩もみ、水切り等。【1分】
  9. じゃがいもを鍋に戻し入れ火にかけ水分を飛ばして潰し塩こしょう。【2分】
  10. 冷えたらマヨネーズと合わせて盛りつける。【2分】
  11. すべての道具を洗う。【トータルで1分】

時間は実測と推定を混ぜこぜにしてしまったが私の場合こんな感じだ。※わかりやすくするために1分未満は全部1分にした。

こうしてみるとレシピに書いていない部分も多いことがわかる。例えば1,2,3,11。これで4分。面倒くささの一端である。なおここはほぼ時短できない。

この中で一番差が出そうなのは4,5,6だ。包丁等を使うため、調理経験がない場合はそれぞれで5~10分以上かかる可能性もある。

そうなると一番時短できそうなのは以下だ。

  • 皮をむかない(包丁が苦手なら茹でた後に手でむく)
  • 野菜を切らない、簡単な切り方にする、便利な道具を使って切る
  • 食材の種類を減らす

いずれにせよ下準備やカット関係がほとんどだ。

そして加熱方法等を変更したところでほとんど意味がないことがわかる。例えば7.のじゃがいもの茹でを蒸しにしたところで、9.の水分を飛ばす作業が減るが蒸し器を洗ったりする手間が増える。レンチンしてもほとんど何も変わらない。いずれにせよせいぜい1分程度、誤差の範囲だ。

作る量と手間の比重

私は飲食店などの数十人分から数千数万単位の大量調理までいろいろやってきた。今は家族分だけ作っている。

手間の比重は作る量によってかなり変わってくる。

大量になるほど時短につながるもの

当たり前だが食材に一つ一つ手を加えるものは大量になるほど大変になる。だから以下は時短効果が大きい。

皮むきを避ける→何百人分のフライドポテトを手づくりと言われたら、迷わず皮をむかないタイプにする。

切り方を簡単にする→何百人分の大根のみそ汁を手づくりと言われたら、迷わずせん切りではなくいちょう切りを選択する。

学校給食なんかではきつい献立の日は真剣に切り方を検討することが多かった。例えばせん切りといちょう切りでは時間に大きな差がつく(機械を使わない場合)からだ。

少量になるほど時短につながるもの

食材の種類を減らす→冷蔵庫から10種類もの食材を取り出し、それぞれ使わない分を戻す、みたいな作業は時間がかかる。その他洗い物が増える要因になり得る。

揚げ物を無くす、”揚げ物”を揚げ以外の方法で作る→油関係や衣つけ等に使った器具の洗い物などを無くせる。

この記事の最初の方では工程を変えてもあまり意味がない(茹で→レンジ)的なことを書いた。だが家庭の場合油関係の工程を代替する意味は大きい。この場合単なる代替というよりも揚げ関係のすべてを消すことになるからだ。揚げ系は調理そのものは楽だが、準備や片付けの占める比重がそれなりに大きい。

料理番組の錯覚~準備と片付け

料理番組を見ると料理はすぐにできるものと感じたりする。ただこれは錯覚だ。料理番組は一番面倒なところはやらない。それは準備と片付けだ。

だから見過ごされがちな準備と片付けだが、これを減らす工夫は大事だ。

洗い物を減らすという点では、鍋やザルなど同じ調理器具を使いまわすのは個人的にけっこうこだわっている。そのために段取りを道具中心にすることもある。例えばザル1個を使いまわす場合最初にザルに入っていたものを空けるタイミングで次の茹で物が上がるようにするなどだ。

結局途中で洗うので同じことのようだが、道具を乾かすスペースが混みあわないで済むし、途中は近い用途なら水でさっとすすぐだけで済む。新たに棚等から取り出し後で戻したりするのに比べてやはり労力が小さくなる。

なお時間は道具で買うこともできる。例えばザルはパンチングのものが気に入っている。メッシュのほうが水切れが良いが、洗いやすさはやはりパンチング。もっとも最近のメッシュのザルは洗いやすいつくりなのでさほど差はないが。まあ使い分けられれば一番いい。またフライパンだけでなく鍋もテフロンにするのもおすすめ。これも味などは別問題として手間を優先で考えたらそうなる。

さいごに

この記事は時短という最近よく見るワードに対しての違和感から書き始めた。ゴールなしで書き始めたので取っ散らかってしまった。

ニュースサイトなどで”〇〇料理の時短技!”みたいなのを「お!」と思って開くと、ただのレンジへの置き換えだったりする。もちろん人によってはそれが本当に時短や手間の削減と感じるだろうから否定する気はない。時短以外に適切な命名も難しいだろうし、そもそも料理のコツ情報なんてのは参考程度に流し読みするものだ。

自分はがっかりしても否定はしないのは、人にはそれぞれ異なる感覚があるからだ。例えば「いったん取り出して冷ます」という工程は私はそれほど嫌わない。冷凍庫を使えば大抵十数分だし、その間に他のことができるからだ。でも人によっては一番嫌いだったりする。少しでも”待つ”のは無理という事情があるかもしれないし多少でも洗い物が増えるというのもあるかもしれない。また「いったん取り出す」という行為が「面倒くさいことをしている」という精神的な負担になることも想像できる。だから結果同じ所要時間だとしても「取り出して冷ます」が無くなることの意義はその人にとって大きい。

ただ総じて”時短”系の見出しは、キッチンでのトータル労働時間の削減にならない情報も多くがっかりすることも多い。

もし本当に時短料理をしたいならそれを追求している個人を追いかけるほうがよさそうだ。例えば「包丁は一切使いません」とか、「食材は2種類までしか使いません」とか。そのくらい振りきっている人は参考になるはず。

なにはともあれ”時短”について違和感を持つことで料理以外についても自分の取り組み方を再考するきっかけにはなった。トータルで作業時間や労働時間の短縮になっているか、と考える習慣は大切かもしれない。

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