時短料理という言葉はずいぶん定着したと思う。テレビなどで見かける料理研究家も「こうすると時短になります」的なことをしきりに言う。
ただ時短に対する違和感が二つある。
といっても「時短料理は伝統的な手法に比べて邪道だ」みたいな主義主張ではない。みんな忙しんだから時短に反対するつもりはない。むしろ賛成だ。
試してみて著しくクオリティが落ちる時短手法もあった。それでも時間短縮のメリットを取るという人も多いだろう。クオリティが落ちない時短なら最高だ。いずれにせよ受け手側が選択すればいいだけだし、アイディアが増えるのは良いことだ。
というわけで時短料理に賛成派でも反対派でもない私だが疑問に思っている点が二つある。
- それ本当に時短になってる?
- 時短ってどっちの意味で言っているの?
これについて書いてみようと思う。
まずは1つ目、それ本当に時短になってる?問題。
時短になっているか疑問ならタイパで考えると理解はできる
ここで問題にしているのは、「レンジでやると時短になる」と言いながら実際の時間は変わらなかったりするやつのことだ。
これに強い違和感を持っていたが、最近たまたまある本を読んでなんとなく理解はできるようになった。
「映画を早送りで観る人たち」という本だ。
本の内容を要約すると…サブスク等の充実などもあり忙しい若者たちを中心にコンテンツの”消費”のされ方が変化してきた。映画は飛ばして鑑賞、ネタバレサイトで結論を先に読んでしまうなど。そういう実態を深掘りしている。
その中でタイパというキーワードが出てきた。たぶん聞いたことはあった言葉だが、「コスパ」に比べるとそこまで定着していない。
最近の人たちはタイパを非常に重視する。
読みながら料理でも「時短」が流行っているよな…と何度か考えた。冒頭で書いた通り私は「時短料理」が気になるタイプだ。主に疑問を持つという意味で。
例えば先に挙げたようにレンチンで時短になると言っているが実際には「時間」は変わらず、なんなら余計な手間が増える気がするやつだ。それなら普通に鍋で茹でるだけでいいのでは…とか。茹でていても放置できることに変わりはないし、テフロン鍋のほうがレンジ用の耐熱容器より洗いやすいよ、みたいな。
ただこの「時短料理」が実際には時短になっていない?問題は「タイパ」で考えると理解はできるなと思った。
時短は単なる時間短縮。タイパは労力(習得にかかる時間を含む)や満足度との相対的な関係。
先にも書いたが個人的には「レンジで時短」系は納得できないことが多い。コンロで茹でるのとほとんど加熱時間が変わらない上に、放置して自由になれる時間も同じだったりするからだ。
でも「タイパ」で考えればわかってくる。コンロで火を使うこと、なべを使うことのコストが高いと感じる人も多いはずだ。そういう人はレンジには慣れ親しんでいる。入力するより手書きの方が速いと言う人もいるのに似ている。
このようにコストの感じ方は人によって違う。
そして本当に「パフォーマンス」を定義するのは料理では難しい。関係する要素が多い。
食べたときの満足度も、食材の質や作り手の技量だけでなく食べ手の好みによる振れ幅が大きい。
だから「タイパ料理」を定義したり突き詰めたりは難しいし、結局今後も「時短料理」という言い方がされ続けるのかもしれない。なので私は自分の中だけで「時短=タイパ」という翻訳をして済ませようと思う。
次に2つ目の問題。
時短とはどっちの意味なのだ?
「時短料理」がよくわからなくなる理由はもう一つある。
ほったらかしにできる時間をカウントするのかどうかあいまいな点だ。どうも料理研究家など人によって違うらしい。
ある場合は料理をスタートしてから完成するまでの時間であり、その間に放置するタイミングがあってもそれも時間的コストに含まれている。
放置できる時間はコストと考えないタイプはその反対だ。炊飯器使用などはこのタイプが多いようだ。
この2タイプが混在しているため炒め物は煮物より時短なのかよくわからなくなる(単純化しすぎなのはごめんなさい)。
私の中では煮物のほうが放置できるため時間的コストが低いのだが、炒め物の方が低いと考える人も少なくないだろう。例えば小さいおかずをたくさんそろえるタイプの人は前者で、一品ドカンとつくるタイプなら後者なのかもしれない。
あとレンジや炊飯器は完全放置できるが、茹で物や煮物は放置とは考えない人も多いのかもしれない。火加減などに慣れていなかったり、反対にしっかり食材のようすや加熱の機微まで見極めたい人だ。私はいい加減なので茹でたり煮たりは完全放置が多いが。
またライフスタイルにもよると思われる。
ある人は家にいる時間が長いため放置できるタイプの時短をのぞむが、ある人は7時に帰宅して7時半には完成させたいためにスタートから完成までの時間を優先したい。
このように時短ニーズが2タイプあるのに「時短」という言葉を使い分けていない点が違和感の理由だ。
「放置料理」と「スピード料理」みたいな感じで上手く区分けできればよいが、一言で伝わる言葉として定着させるのはなかなか難しそうだ。
そういえばGoogleのレシピに関するリッチリザルトは料理の時間に関しておもしろい分け方をしている。
prepTime、cookTime、totalTimeの3つだ。
- prepTime…料理に必要な材料や作業スペースの準備にかかる時間
- cookTime…実際に調理するのにかかる時間
- totalTime…料理の準備と調理にかかる合計時間
この分け方だと炊飯器やレンジに投入して放置するだけという料理がどうなるのかよくわからない。
ていうか「必要な材料や作業スペースの準備」ってなんなの?
ということで私はこの区分けに納得していなくて、おもしろい分け方したなと思うのだが、アメリカではこういう考え方が普通なのかもしれない。アメリカの料理のイメージは日本料理や中国料理みたいに細かい下処理が少ない感じだし。まあよくわからない。
翻訳の問題かもしれない。「必要な材料…の準備」に包丁でのカットなどが含まれるなら、下処理工程、加熱工程という区分けになり納得できるのだが、この表現だとそう理解するのが正しいのか大いに疑問だ…。
まあともかくこういうふうに時間を分けるという考え方を「時短料理」に組み込むと、どっちの意味での時短なのかわかるようになりそう。
放置時間は実労働時間とは考えないということ。私のばかな脳みそと貧しい語彙力で一番単純に書くとこうなる。
- 料理のトータル時間
- 実労働時間
例えば肉じゃがは野菜の下処理等を10分、煮るのを20分だったらこうなる。
- 料理のトータル時間:30分
- 実労働時間:15分(10分+5分)※調味料の投入や火加減や味見に5分使うとする。30分のうち15分間は別のことができる。
現状ではこれのどっちを短縮しても「時短」と呼んでいることに疑問を持っている。まあ別に混在している実情を変えたいというわけではない。ただ時短料理や時短テクニックというのが出てくるたびに、自分のなかでこの区分け作業が自動的に発生しているということを言いたいだけだ。
もしかしたら本当の意味での「時短」のニーズを深掘り調査するとおもしろいのかもしれない。その人の料理の好き嫌いや忙しさなど相関が見えてくるのかもしれない。
料理のコスパはお金だけじゃない
この記事ではコスパのコストは主に時間として書いてみた。でも料理の場合ふつう「コスト」と言ったら基本的にお金のことだ。
でも先に紹介した本の通り、時代とともにコストに占める時間の比重が増えている。技術の習得が必要な場合、それの習得にかかる時間も含まれている。例えば「だし巻卵」や「オムレツ」なんかはコストがかかることになる。習得してコストを払い終えればお金や時間の点はネックにならないので総合的にコスパのよい料理になるのだけれど。
人それぞれその作業に感じる労力もコストだ。労力にはその人の主観的な「めんどくささ」、コツをつかむまでの試行回数、考えること…などが含まれる。めんどくささで言えば、私の場合もやしのひげ取りなどは時間以上にこの感情コストが高い。
それぞれは互いに関係している。お金的な意味でのコスパを追求するとガス代の節約とかも必要になるので結果時間短縮も絡んできたりする。
ともかく今後はこれら3つのコストを含めた「コスパのよい料理」のニーズが増えるのは間違いないと思っている。
料理のコスパのイメージ変化
コストとはお金 → コストとはお金、時間、(感じる労力)
こうなると「コスパのよい料理」がどれを指すのかわからなくなりそう。
なにかこれら3つを含めた総合指標みたいなものがあったらおもしろいと思う。いや労力なんて複雑すぎるからお金と時間だけでいいか。この2つを合わせたコストとパフォーマンスの関連なんていう調査や研究をみてみたい。
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