学校給食の会社に入った後、産業給食センターに研修に行きました。3日間だけでしたが本当にきつかったです。
食数は2万後半、およそ3万食弱。
それまでは自校式で1,000食弱、センターで2,000~3,000食だったので次元が違いました。
だんだん経験食数が増えていった
学校給食という大量調理の世界に入った後、だんだんと食数に対する感覚がマヒしていきました。
最初の現場は950食の自校式小学校でした。1,000近くなると「マンモス校」と呼ばれきつい現場として扱われます。「かなり多いので大変な現場です」という説明を受けていましたが、最初だったのでこの量と忙しさが普通だと思って適応しました。確かに休憩などもあまり取れませんでした。自校式としては結構大変な環境だと気づいたのは応援や研修で600~700食の学校に行ったりした時でした。
次に別の会社で2,500食の中学校給食センターに行きました。下処理の量や回転釜の大きさ、スチコンが4台あるなどに驚きました。でも慣れたら以前にやっていた自校式の釜がとても小さく思えるようになりました。
その後3,000食と2,000食の弁当方式の学校給食を経験しました。盛りつけ作業があることからくるシビアなスケジュールが大変でした。配缶方式の2,500食がとてつもなく省エネなものに感じました。盛り付けないということがどれだけ楽かと。
ここがきつさの限界かなと思ったのですが、その後圧倒的なきつさを経験しました。数日ですが。
3万食の産業給食は次元が違った
その会社では夏季研修的な名目で産業給食センター(企業向けに配達する弁当工場)に3日間行くことになりました。
食数は約30,000食(正確には2万台でしたが、四捨五入で約3万)。回転釜で調理していくポジションに当てられました。
深夜10時からスタートして午前10時くらいまで延々釜で調理し続けます。一人2釜を使って同じ料理を十何回転とか作り続けました。
夜とはいえ8月です。夏に回転釜を経験している人なら想像できるかと思いますが、学校給食で一回転(そもそも学校給食で複数回転はほとんどないですが)でもかなりきつい日もあります。
火を入れてる間にマイナス20℃の冷凍庫に駆け込んで身体を冷やして、ホースから水をがぶ飲みしました。それでも倒れそうでしたが。
ぜんぶを作り終えたらその後自分で片付けもするので、午後1~2時とかまでかかりました。平均15時間労働くらい。
おまけに車で同僚を乗せて片道2時間、往復4時間の往復。運転できるのは自分だけだったので交代もしてもらえず。帰りは爆睡している同僚を横目に必死で睡魔と戦いました。通勤も入れて20時間近く拘束されていました。16時に帰ってきて20時にはまた出発するという地獄すぎるスケジュール。
昼夜逆転かつ寝不足での長時間労働、最終日の3日目の朝方ついに精神が崩壊してきました。ゲシュタルト崩壊というとちょっと違うかもしれませんが、「あれ私は今いったい何を作っているんだ?ていうか何をしているんだ?」と。
ちゃんと生産的なことをしているはずなのに、延々穴を掘っては埋めさせられる囚人みたいな気分でした。実際は作ったそばからおかずは冷却されて盛付ラインに運ばれてちゃんと弁当に詰められているのですが。
何とも言えない心身が崩壊した感じ、ふわふわ抜け殻みたいな感じになりました。でもそこには普通に毎日それやってる人たちがいるので不思議な尊敬の念を覚えました。
まあそのきつさは食数や季節よりも、この研修が先述のとおり地獄のようなスケジュールだったせいかもしれません。ただそれを終えて帰ってきたら普段の学校給食が天国みたいに思えました。ちなみにその会社は学校給食センターを自前で建てて「副業」的に介護食などを手掛けるスタイルでした。つまり午前に学校給食を作ったあと午後はそれらを作り、帰れるのは深夜近くみたいな感じでした。それでもこの地獄研修のあとだとそれがマシに思えるようになる…これがブラック企業の洗脳の手法なのかもしれないと思いました。
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