味の素に対して強い拒否反応を示す人が多い気がする。まあそれはもちろん自由だし否定する気もないが、自分の経験的にはこんな実情がありましたという話。
20年前割烹の厨房。お吸い物に味の素を入れていた。量としては本当にほんのちょっと。
個人店だったが親方じきじきに、並の舌じゃ判別できない絶妙のさじ加減で。
それで「いいお味で相変わらず丁寧な仕事」とか言われていた。もちろんそれなりの素材でだし引いているからね。といっても最高の素材かというとそこまでじゃない(当時の私のレベルが低すぎて産地とかはよく覚えていない)。ただそのへんのスーパーで売っている薄削りとかだし昆布よりはまず上。
ともかく数字で表すことはできないけど、イメージとしては天然95%+化学5%みたいな感じ。
化学調味料=悪みたいな雰囲気があった
ただ当時は化学調味料はどちらかというと悪みたいな風潮がおそらく今よりも強く、調理師養成の先生たちもそんな感じだったのでだましている感を持っていた…。もちろん営業的にも不利になるから親方もわざわざ外に言ったりは絶対しない。
※最近は「化学調味料」ではなく「うま味調味料」と言うが、まあこの記事はちょっと昔話込みなのでイメージを再現するために前者で。
あ、店のレベルというかタイプとしては、地域では商工会とか地元議員たちの定番の店みたいになっていたけど、別に味の点で名店とかではなかった。
まあともかく現実的に天然のだし+気持ち味の素というのが営業的に最強というのを体感した。イメージで言うと自然だけの味はブワッと広がるグラデーション。人工を足すとそこに芯ができる。
偉大なのに毛嫌いされる不遇の味の素
今の私は化学調味料は加減さえ間違えなければ偉大すぎる調味料だと思っているけど、そして味の素と開発者たちは素晴らしいと思っているけど、ていうか味の素的な旨味ってなんにでも入っていると思うんだけど、それでもやっぱりお客さんにわかるとあれなんだろうなあ…というモヤモヤがずっとある。
外食の現実は昔から割と先述のようなのだけど、なぜか異常に毛嫌いされている気がする不遇の味の素。
自然が一番みたいな主義主張はそれはそれで尊重する。
私自身は自然をことさら持ち上げる必要もないし人工を持ち上げる必要もない、バランスよく使っておいしければそれでいい、という中立タイプ。まあこの立場の人が圧倒的に多いと思う。
人間の味覚から逆算してつくったものがうまいのは当然。だから味の素はうまいのは当然。でも人間の感覚も自然界の成分も複雑すぎて解明も再現もぜんぜんできていないという現状。ならば化学調味料を最低限の使用で活用するのは絶妙の使用バランス。薬と副作用の関係にも似ているかもしれない。
特に安い素材をおいしくする点では効果が大きい。味の素は加減と使いどころを間違えなければ間違いなく有能。
といっても私もある意味では否定派
ただ味の素は有能だが万能ではない。
まあ加減を一つ間違えるととんでもないことになるし、なんでも入れたら全部同じような味になっちゃう。
たまにふと単体で舐めてとてつもなく変な味がするのも嫌だ(特殊なスパイスをのぞき他の調味料はこんなことない)。
家庭料理の場合単発でインパクトを感じる味にする必要はない。むしろそれは長期的にマイナスになることが多い。何となく飽きるとかしつこいと感じるとか。売っているお惣菜とかずっと食べているとそう感じてくるのと似ている。
舞台のお笑い芸人みたいなノリで楽しませてくれる人は外で単発であったら最高に楽しい人になるかもしれない。でも家庭で毎日それだったらたぶんほとんどの人は疲れるか飽きる。そんな感じ。
家の料理はいくらでも食べられるような味(一口目ではほんのわずかに物足りないくらい)に仕上げるのが私は好き。だから家料理では味の素は基本不要、というか下手するとマイナス。過ぎたるは及ばざるがごとし。
逆に言うと外食は一口目や一回の食事でインパクトを与える必要があるので味の素はかなり有効。
味の素のコツ
味の素の使用方法の基本は、旨味だけを増量したい場合。
というのは味の素は香りがないから。天然だしのお吸い物と相性がいいこともこれが理由のひとつと思う。天然だしは香りが豊かで十分。場合によっては強いくらい。だから味の素で旨味だけを増す。
あと必ず微量にとどめること。嫌われる理由のひとつが入れすぎにある。家庭だと作る量も少ないからよりコントロールが難しい。これで変わるの?というくらいにとどめること。
あとは一回の食事で何品にも入れたりしないこと。使っても一品くらいにとどめること。これは味が均一化して飽きやしつこさにつながるから。
さらに補足するとできるだけ最初から入れると決めないこと。特に新しく作る料理やいつもと違う食材の場合。いつもと同じスーパーで買ってきた食材でもアタリハズレがあったりする。あくまで最後の補完手段。逆に言うといつも必ず同じメニュー、同じ品質の食材を使っているなら決めてしまってもいい。
ちなみに上記のコツは自身家庭で極端に試したことからの結果でもある。味の素を何にでも入れたらどう感じるか。多めに入れるとどうなるか。単発で「うまい!」ってなる確率が上がる一方で、「なんかたくさんは食べたくない」ってなる確率も上がる感じ。
割烹で味の素をお吸い物に入れていた理由の推測
割烹でも入れてたのはほぼお吸い物だけ。なぜお吸い物だけに入れていたのか、聞いたことなかったので親方の考えは結局不明。
同じだしを使う料理でも茶碗蒸しや炊き合わせ(=煮物。季節の野菜をそれぞれ単品で煮て盛り合わせる)には入れていなかった。その代わりに必要に応じて追いがつおとか鶏皮とかするめとか、味の補強+味にカラーを出す工夫を適宜していた。
勝手に理由を推測すると、お吸い物に入れるのは具材からの旨味や甘味など補強する要素がないから。
甘味が多い煮物などには不要。砂糖やみりんで甘味を加えているから&上記のような他素材での補強。また茶碗蒸しは卵という強力な食材を使っている上に鶏肉とかも必ず入れていた。マツタケの土瓶蒸しなんかはお吸い物にある意味近いけど、具が豪華だったから不要だったのだろう。
いっぽうでお吸い物の場合は、椀だね(お吸い物のメインの具)の定番は白身やえびのしんじょう(すりつぶして丸めただんご)とかが多かった。これなんかは片栗粉で衣づけして下茹でしてしまっているからうまみ成分は多分吸い地側にほとんど出ない。
まあそんなこんなでお吸い物だけは入れるという判断をしていたのかもしれないと思っている。
あと考えられること、というか感覚的に確信に近いことがある。親方の性格というのは「これはこういうもの!」という固定観念タイプ。他の料理や食材の扱い方なども全部固定されていたので。自分で研究したり、やり方を変えようとしたのは一度も見たことはない。ということはおそらく修業した店でお吸い物に味の素を必ず入れていたのではないか。
味の素は1909年(明治42年)にはあったとのこと。現在の私たちのイメージ以上に昔から外食産業、もっというと正統派の伝統料理とされてきた割烹などに浸透していたのではないか。
味の素との付き合い方
最後に家庭での味の素との付き合い方について。
家庭料理では基本不要。でももし使ったことなかったら使いどころを考えて試す価値はあり、と言いたい。
私の基本の使い方は…
だしを使わない料理にいい。だしを使う料理の場合顆粒だしでもいいから。結果的に和食以外で使うことが多くなる。イタリアン系とかドレッシングとか。鶏ガラとかコンソメとか顆粒で旨味を足すと香りが付いちゃうので。
また必ず使うわけではなく味をみて素材からのうまみが足りないと思ったら少しだけ加える。以下例。
- ナムル…強力な味の食材が少なめの場合。
- ペペロンチーノ系のパスタ…特にイカなどの場合は有力手段 ※一方ベーコンやアサリなどを使う場合、旨味成分が十分期待できるので基本不要。
- ドレッシング…サラダの食材や他の献立との組み合わせから逆算する。
- ポテトサラダ…基本入れない。ただ素材のじゃがいもがおいしくない、かつハムなどの味の補強を入れない場合は微量の味の素が有力候補になる。
ちなみに上の例も含めてほぼすべての料理に言えることとして、味の素よりも先に砂糖を考えるようにしている。例えば上で挙げたポテトサラダのじゃがいもがおいしくない場合はまずはごく少量の砂糖。経験的にこっちのほうが味の素よりも大きく作用する可能性が高い。
ちなみに家でお吸い物を作った場合味の素は入れない。だしをとる場合でも、かつお節も昆布もスーパーで売っている安いやつだが入れない。
繰り返しになるが店で味の素プラスが最強なのは営業的には最高だから。家の場合しつこいと感じたり飽きたりするリスクを避けるほうが私にとって重要。単発でインパクトを与えるのが外食ならいくら食べても嫌にならないのが家庭料理。
家ではお吸い物用に安いかつお節と昆布で量もケチってだしをとることが多い。でも味の素は入れない。ただしうちにお客さんが来たら加えるかもしれない。一口目でわかりやすく旨いと感じさせることが大事だと思った場合。
まず使うのではなく最後の選択肢にする
私が味の素を使うかどうか決める際の思考回路。まあいつもこんな風に順を追って考えていくのではなく直感で判断しているだけだが、あえて分解すると…
- 味見→何か決まらないなあ
- …旨味が足りていないのかもしれない
- 他の食材や調味料で旨味、風味を足せる余地がないか考えてみる
- 同時に甘味や塩味などの調整で変わらないかも検討 ※特に微量の砂糖
- 3や4がない。あるいは候補があっても面倒
- 味の素使ってみよう
味の素は最後の手段。
6.の味の素から検討したほうが早いし楽なのに、なぜ最後なのか。ここまで読んでくれた方には重ね重ねになってしまうが、「飽きる・くどくなる・味が均一化する」など献立上の弊害が多くなるから。3.や4.で解決できれば献立全体でも味の表現・幅が広がる形になる。
試したことなかったら選択肢の一つに
味の素を毒物かのようにやたら悪扱いをする人がいる。外食産業の現実を見てきた私のような人間からすると不思議なほど。ドレッシングとか加工食品の成分表示見てたら商品名で「味の素」とは書いていなくてもそれに相当するものはよく目にするはずなのに。
その他の顆粒やキューブのだしとかルウとか〇〇料理の素とか、そういうのは抵抗ないのにことさら味の素だけに反応するのはおかしい。天然素材の補完として自分で味の素を投入するほうが手作り度という意味でも上だし、摂取量のコントロールがしやすいのに。
まあ試した結果で拒否するならいいが、もしイメージだけで毛嫌いしていたらそこまで邪険にしないで試してみるのも悪くないと思う。過剰摂取でもしない限り毒物ではないのだから。合わなかったらやめればいい。味が均一化して飽きるなと思ったら控えればいい。
使い方のコツとしては「これで違いがでるのか?」ってくらい微量で使うこと(試して嫌いになった場合は、入れすぎ・使い過ぎだった可能性も大)。微量だから一回買ったら長く使えるし既製品のドレッシングとか買うよりも経済的。
コメント
コメント一覧 (2件)
はじめましてニックネーム愛佳のパパと申します。鶏むね肉が硬くて原因を調べていたらたどり着きました。納得と安心させて頂きました。ありがとうございます。他の記事も大変参考になりました、ゆっくり読まさせていただきます。ファンになりました。引き続き頑張ってください。
>愛佳のパパさん
うれしいコメントありがとうございます。
今過去記事のメンテナンス中なのですが、以前返信を書いたつもりでしたが反映されていなかったようでした。大変遅くなりごめんなさい。
不定期更新ですが、今後もよかったら読んでいただけるとうれしいです。